本部御殿手とは 本部御殿手とは

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birth 本部御殿手の誕生

本部御殿手(むとぅぶうどぅんでぃ)の開祖は上原清吉(うえはらせいきち/1904〜2004)。
上原が師事した本部御殿の11代当主:本部朝勇(もとぶちょうゆう/1857〜1927)氏より10年間(大正5〜15年)の修行を経て、技を継承した。
修行の印可証明として二巻の巻物を授与され、満を持して昭和45年に一般に公開し、上原は「本部御殿手」と命名した。

本部御殿手の誕生

history 歴史

本部御殿手は琉球王朝時代に王族の家系である本部御殿の当主のみに継承されていた。
一子相伝の秘伝武術である。その武術は本部御殿の第11代当主、本部 朝勇師が継承した。

歴史

明治政府による廃藩置県後に朝勇師は当時の空手の大家と交わり伝統空手・古武道の技も習得し後進を指導した。
本部朝勇師の子息が沖縄を離れたため、一子相伝の秘伝武術を継承させることができなかった。
大正時代になり、その技を伝承させるため、血縁ではない上原清吉ただ一人に技を伝えた。清吉は、朝勇師のご子息の朝茂氏に技を伝えたが、朝茂氏はその後に亡くなった。
戦後になり、上原清吉師は一子相伝の秘伝武術の継承を危惧し、一般に公開することを決意し、本部朝勇師から継承した技を本部御殿手と命名した。
上原は、琉球王家秘伝本部御殿手三百余年の歴史を持つ、剣技を含む琉球固有の総合武術を伝授後、突き蹴りの技を実践的に組み合わせて、元手(むとぅでぃ)に次ぐ手を考案して独自の合戦手(かっしんでぃ)の型を完成させた。

それを礎に多くの術理の詳解、御殿手の精神、修行の過程など多岐にわたり研鑽、多くの弟子を育成した。

なお、当沖縄本部御殿手には剣術、居合術、各種武器術、取手術、捕縄術、礼法、養成法、日常生活や戦場での心得に至るまで数多くの修行法が残されている。
初代会長に諸見里真助、二代目に故上原健志(上原開祖の長男)、現在三代目に石川正信に至っている。

Characteristics of the style 流儀の特徴

沖縄本部御殿手は琉球王国に伝わった戰場における多人数相手の実践を想定した武術である。
戦場で使う戦手(イクサディ)であり、よって、
戦場で多数の敵と味方が入り乱れて闘う、乱戦の中で効率よく多人数の敵を討つ技が多い。
基本的な術理は、独特の体捌き、歩法のもとに、初伝から奥義に至るまで同一の術理で組み立てられ、体術も武器術もすべて同一の動きに見えるという特徴がある。
身を護る秘伝の奥義は「剣」にあり、武の頂点は「舞」にある。