開祖・上原清吉について

Who is Seikichi Uehara 開祖・
上原清吉について

The life of Uehara Seikichi 本部御殿手の開祖・
上原清吉の人生

開祖の上原清吉(うえはら せいきち)は、1904年に現在の沖縄県那覇市字小禄に生まれた。生家は農業のかたわら醤油の醸造と販売が生業。
清吉少年は小学校を卒業後に当時は義務教育ではなかった中学校に進学する予定であったが、家庭の事情で断念し、味噌、醤油の行商で家計を支えた。
1916年に満12歳で本部朝勇師に師事した。その頃、朝勇師はご子息が沖縄を離れていたため、秘伝武術を継承させることができなくなっていた。

そのため、朝勇師は弟子に秘伝の技を習得させ、ご子息にその技を伝承させることを望んだ。しかし、御殿手の習得には、幼いころからの厳しい修業が必要であった。そこで若く素直でやる気があり、辛く厳しい稽古に耐えることができた上原清吉少年が選ばれ、実の息子のように大事に厳しく育てられた。
上原清吉師は本部御殿手と空手・古武道の技を着実に習得し、1923年に首里城南殿で本部朝勇師とともに「ウフクン」を演武するまでに成長した。1926年12 月にフィリピンに移住するため旅立ったが、旅立ちの日に御殿手の技を継承した印可証明として2巻の巻物を授与された。

本部御殿手の開祖・上原清吉の人生

1916年に満12歳で本部朝勇師に師事した。その頃、朝勇師はご子息が沖縄を離れていたため、秘伝武術を継承させることができなくなっていた。

そのため、朝勇師は弟子に秘伝の技を習得させ、ご子息にその技を伝承させることを望んだ。しかし、御殿手の習得には、幼いころからの厳しい修業が必要であった。そこで若く素直でやる気があり、辛く厳しい稽古に耐えることができた上原清吉少年が選ばれ、実の息子のように大事に厳しく育てられた。
上原清吉師は本部御殿手と空手・古武道の技を着実に習得し、1923年に首里城南殿で本部朝勇師とともに「ウフクン」を演武するまでに成長した。1926年12 月にフィリピンに移住するため旅立ったが、旅立ちの日に御殿手の技を継承した印可証明として2巻の巻物を授与された。

Dance of the Warriors 武の舞(書籍紹介)

武の舞―琉球王家秘伝武術
「本部御殿手」 単行本 –
1992/10/1

武の舞(書籍紹介)

上原清吉によって1992年に書き記された書。
(書評より引用)
剛と柔の技を積み重ねて修業を積んでいくと、「武」の頂点としての「舞」に至る。相手に応じてどんな変化もできる柔かい動きの極まりが「武の舞」なのである。三百数十年に渡って伝えられた琉球王家の秘伝武術。
古風典雅な琉球舞踏を思わせ、ひょうひょうと歩きながら華麗に連続攻撃を捌き、優しげに技をきめて舞う、上原師範の動き。-琉球王国の残した文化遺産の中の「本部御殿手」を、十二代宗家上原清吉氏が自らの半生を語りつつそのすべてを明らかにする。

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武の舞(書籍紹介)

第18回
日本古武道演武大会における
開祖・上原正吉の演武